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NORAKOの隠れ家

子育てが終わり、夫婦二人暮らしとなったアラフィフ・パート主婦の日常です。

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 飲み込んだ言葉。

 今日は、先週受けた検査結果についての話があるので

またまた仕事の休みをもらい、父の診察に付き添いました。

前回書いたこの話についても、また今回も
キーワードについて、わざわざ伏字にしているところがありますが
それは、万が一父親や兄弟がキーワードを検索して
このブログにヒットしたりしてはまずいな・・・と思ったからです。

なので、少々見づらいかと思いますが
どうかご理解ください。

あっ・・・それから病気ネタは重いからイヤだわ、という方は
この先へ進まず、
申し訳ありませんが、そっと閉じてくださいね。




















もったいぶった前フリは抜きで

結論から書いてしまいます。

先週のP〇T検査の結果、

「肺〇〇の可能性が高い」

という先生の診断でした。

画像を一緒に見せてもらいましたが、CT検査のときに説明された箇所が

素人目にもハッキリと赤く光っていました。

ただ、主治医によると「確定診断」というのは

あくまでも細胞を取り出して検査した上でするものなので

この段階ではあくまでも「可能性が極めて高い」というような言い方しか

できないものなのだそうです。

しかし、ほぼ間違いないでしょう、と。

実は1週間前のCT検査の際に、〇ンの可能性あり、という話が出ていたときに

わたしの父はその場でいきなり

「先生、わたしは〇ンだったら治療はしたくないんです。」

と言い出して、わたしを驚かせていたんですね。

まさか父がその場でそんなことを言い出すとは想像もしておらず

もちろん先生も驚いており、私はなんのリアクションもできませんでした。

それから今日までの1週間に、LINEで兄弟会議を何度も開き、

「治療を受けさせるように説得する」という意見を兄弟3人でこっそりまとめていました。

なぜなら、1週間前に「サイズは1センチ弱」ということを先生から聞いていた時点で

ネットの情報から「初期〇ン」であることは確認済みで、

”早期発見をわざわざ放置するなんて、バカげている”と思っていたからです。



そうして迎えた今日の検査結果の日でした。先生の説明でも

通常、このサイズなら選択肢は手術一択で、治癒率は8~9割くらいなのだそう。

わたしは先生の説明を受けながら、どのタイミングで「治療」について話そうかと

時機をうかがっていました。

ところが、先生から思わぬ言葉が。

”通常は”そうなのだけど、父の場合は・・・・

すでに肺が持病によりボロボロの状態なので、まず放射線治療は全くできない。

選択肢は手術か抗〇ん剤治療の2択。

しかし、手術は〇ンだけを切り取ればいいというものではなく、

どうしても肺の〇分の1を切る・・・ということになるため

すでに肺機能が低下している父については手術によってさらに肺機能を悪化させる可能性が高いのだそう。

簡単に言うと、〇ンは完治できても

その手術によって、術後、酸素を持ち歩かないと

日常生活が送れない状態になってしまう可能性が高いとの説明でした。

抗〇ん剤についても、使える薬が限られるであろうこと、

そしてそれが体にかける負担と得られる治療効果については個人差が激しいため、

正直なところやってみなければわからないところがあり、一種の賭けになること。

など・・・・・。

非常に難しい選択を迫られることになる現実をつきつけられたのでした。

そして、父が先生に尋ねたのは、

「もしもこのまま放置したら余命はどのくらいでしょう?」という言葉。

先生は悩みながらも、

「最悪の場合で1~2年かと・・・」と、言いづらそうに答えてくれました。

なんだかもう、それを聞いたら私の中で何かが吹っ切れた気がします。

先生のいる前では、父と話すことはしませんでした。

「家族は治療を望んでいます」という、用意していた言葉は飲み込まざるを得なかったのです。

ただ、ありがたいことにこの先生が本当にいい先生で

じっくりと時間をかけて状況を説明し、わたしたちの疑問にも真摯に答えてくださり

おそらく人生の最期を託すことになるであろう先生が

父が信頼をよせられる方でよかったなと、そこは非常に安堵しました。

診察が終わったあとに、父と二人で病院内の喫茶店へ行き

ようやく向かい合って、今後について話しました。

兄弟で「父を説得する」と決めて迎えた今日の日でしたが

わたしが父に対して言った言葉は



「お父さんが決めていいよ。お父さんのしたいようにしてほしい。」






でした。

診察室で、先生から告知を聞いていたときには、

驚くほどにリラックスして冷静でいられたのに、

父に対してこの言葉を口にした瞬間に涙があふれました。

〇ンの疑いを示唆されたときも、今日の診察室でも、あれほど冷静だったのに。

この言葉を口にした瞬間、何か張りつめていた糸が切れてしまったように。

そりゃ、治るものなら治してほしいです。

ステージ1なのに、治療できないなんて悔しくてたまらないです。

けれど、治療によって今かろうじて維持できている父のQOLを一気に低下させ

酸素ボンベなくして出歩けない、もしかしたら家で寝ているだけの

”息をしているだけ”になるかもしれない治療は

どうやっても、父に「それでも受けて」とは言えないと思ったのです。

そんな生活は父にとってはもはや「生きている」とは言えないことになりそうで。




「お前がそう言ってくれてうれしい」




とニッコリ笑って答える父。

わたしは、正直言って難しい性格の父のことがあまり好きではなくて

ずっとずっと自分にとってはやっかいな存在だと思い続けてきました。

しかし、ふと気が付いて振り返ってみれば、親友のような関係だった母と過ごした年月よりも

うんと長い時間、父を支えてきた自分・・・。

もうここまできたら、父らしさを全うさせてあげなくちゃいけない。

体の続く限り、行きたいところへ行って、食べたいものを食べる生活。


このあとはもう、しんみりはナシ!ということで、いつもの調子で会話していました。

私「先生はこの間も”私たちは最悪の話からしていかないといけないので”って言ってたし、
年寄りは進行が遅いっていうしさ、(余命は)もっと長いと思うなあ。」

父「ワシもそう思うわ。」

私「それにほら、病気のこと考えてウジウジしてるより、
 好きなことやってるほうが免疫力上がってよさそうだしね。」

父「うんうん。実はさっそく、近々東京へ行こうと思ってたんだ。美術館めぐりをしたくてな。」

私「いいけど、無理しないでよねー。お父さんいっつも行程が欲張りすぎなんだから!」

父「ハハハ~大丈夫だよ、ちゃんと気を付けるよ」

私「まったくもー。苦しくなってから休憩する場所探すんじゃなくて、苦しくなる前に休むんだよ!」

父「ハイハイ、わかりました(笑)」



この先、果たしてどんな展開が待っているのか?は想像もつきません。

いずれは思うように外出できなくなる日が来るのでしょう。

〇ンがなくても、すでに肺はボロボロなのだから。

父の納得のいく生き方をしてほしい、という今はもうそれだけです。

むしろすっきりした気分です。

わたしは今月で仕事をやめるので、今後いつ何があろうとも、

いつでも父の支えになる準備はバッチリ。

でも、それはまだもう少し先のことになりそうなので

父がSOSを出す日まで、わたしも専業主婦を満喫して、

しばし自分のために時間を使う生活を楽しみたいと思います。

今後、逐一父の状況について綴ることはしないつもりですが

同世代の方が、同じような岐路に立っていることも考えて

わたしたち親子はこういう道を選んだんだということが

誰かに伝わればいいなと思い、今日は書きました。

読んでいただいた方、ありがとうございました。

暗く沈んだりはしていないので、どうかご安心を!



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